猪木vsロビンソン 3

2019年09月24日

プロレス
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アントニオ猪木 ジャイアント馬場 力道山

プロレス史上に残る名勝負となったアントニオ猪木vsビル・ロビンソンの一戦ですが、この試合には特筆すべき背景がありました。

この頃の日本のプロレスは猪木の新日本プロレスとジャイアント馬場の全日本プロレスが人気を争い、それぞれの放映権を持つテレビ局もゴールデンタイムで放映するなど全面的にバックアップしていました。

当時のプロレス中継はゴールデンタイムで放送するドラマや歌番組などに比べ制作費が安いのに加え、固定ファンが多かったことで視聴率も見込める、テレビ局にとって魅力的なコンテンツだったようです。

そして猪木による度々の挑戦を黙殺して「逃げた」とのイメージを持たれがちだった馬場が、大きな仕掛けで反撃に出ます。

それが1975年12月に開催された「オープン選手権」というタイトルのリーグ戦で、各団体に広く門戸を開放し総当たりのリーグ戦を行うという主旨でした。

名指しこそ無かったものの、明らかに猪木に対し、「対戦したければ、参加して来い」と言っているようなものでした。

これに対する猪木の返答は「これは単なる全日本プロレスのシリーズへの参加要請であり、新日本プロレスとしてはシリーズの日程やテレビ局との契約があり参加は不可能」というようなものだったと思います。

これによって自分の過去の馬場に対する挑発行為を引き合いに出され、日本プロレス界のOB等から大きな批判を受ける結果となりました。

そしてこの「オープン選手権」の開催期間中に日本武道館で力道山家主催による「力道山13回忌追善特別大試合」が武道館で行われる事も発表され、力道山家側から猪木個人へ参加の要請がありました。

しかしこの追善試合の当日は、すでに猪木vsロビンソンの「夢の対決」を発表済でチケットも売り出されており、どう考えても無理な要請でした。

この追善試合の出場を断った猪木力道山の未亡人から「今後は力道山門下生を名乗らないで欲しい」と言われ、長年の挑発行為に対する馬場からの強烈なしっぺ返しを喰らいました。

迎えた試合当日は日本武道館と蔵前国技館での興行戦争となりましたが、NWA本部のバックアップで全米のトップレスラーを揃えた上に国際プロレス勢や力道山家などの大義名分のある全日本に対し、孤立無援となった新日本側は猪木vsロビンソンの試合そのもので勝負する以外にありませんでした。

当日の客入りは主催者発表でどちらも超満員でしたが、試合内容では猪木vsロビンソンの名勝負がオールスターを揃えた全日本を大きく上回り、40年以上たった今でも語り草になっています。

MEMO

主催者発表ではなく実数では、新日本の観客動員数が上回っていたという説もあります。

そして試合前に「ロビンソンと全力で戦うことで力道山先生への供養にしたい」と語った猪木の言葉通り、天国の力道山もこの試合を見て喜んだことでしょう。

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